昆虫の触角感覚系

提供: JSCPB wiki
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 動物は外界の環境情報を末梢にある感覚細胞によって受容し、脳内でこれらの情報を処理・統合し、さらに適切な行動として出力することにより、地球上のあらゆる環境下で繁栄してきた。このような環境情報は味覚、嗅覚、視覚、触角、聴覚などの感覚刺激として特定の器官で受容される。特に、昆虫の持つ二本の触角は多様な感覚情報を高感度で受容できる多機能センサーである。本稿では夜行性であり、昆虫の中でも発達した触角を持つワモンゴキブリ(Periplaneta americana)を例に昆虫の触角感覚系について解説する。

昆虫の触角

 昆虫の触角は基部から柄節、梗節、鞭節からなる。鞭節はいくつかの節から構成され、昆虫種によって数や形が異なる。例えばショウジョウバエの鞭節は2節から構成されるのに対し、ワモンゴキブリの鞭節は150以上の節から構成される。柄節と梗節は主に自己感覚受容や触角運動に特化しているのに対し、鞭節は主に外界の感覚情報の取得に特化している。これらの感覚情報は触角の表面や内部に存在する感覚子によって受容される。個々の感覚子は各種感覚刺激を受容するために特殊化した形態のクチクラ装置をもち、クチクラ装置の内部には感覚情報を電気信号に変換し、脳へ伝達する感覚細胞が位置している。それぞれの感覚細胞は脳の特定の一次感覚中枢へと投射し、脳内で階層的に処理・統合される。次項からは各感覚情報が触角でどのように受容されるのか簡単に解説する。

嗅覚

一般的な匂いの場合

 ワモンゴキブリは、触角鞭節に匂い受容に特化した「棒状感覚子」「毛状感覚子」「錐状感覚子」の三種の形態学的に異なる嗅感覚子をもつ。嗅感覚子の表面には多数の小さな嗅孔が分布している。匂い物質は嗅孔を通過し、血リンパ液中に存在する結合タンパクを介して嗅感覚細胞の感覚繊毛に分布していうる嗅受容体へと届けられる。ワモンゴキブリでは嗅感覚細胞が匂い応答より8グループに分類できることが明らかになっている。特に、異なる種類の嗅感覚子に内在する嗅感覚細胞は異なる系統の匂い分子を受容することが知られており、これは嗅感覚細胞が発現している嗅受容体の種類の違いを反映していると考えられる

 嗅感覚細胞は一次嗅覚中枢である触角葉を構成する糸球体へと投射する。ワモンゴキブリの触角葉は205個の糸球体から構成される。3種類の感覚子に内在する嗅感覚細胞は異なる糸球体グループに投射することより、触角上で受容された嗅覚情報は糸球体の空間的なパターンとして表象される。

性フェロモンの場合

 ワモンゴキブリの棒状感覚子は感覚細胞を2個内在するsw-A感覚子と4個内在するsw-B感覚子に分類できる。ワモンゴキブリの成虫ではsw-B感覚子の数に性的二形が見られ、オスのほうが約18000本多い。sw-B感覚子に内在する4個の嗅感覚細胞のうち2個はそれぞれメスが出す性フェロモンの主要な構成成分であるペリプラノンAとペリプラノンBを受容する。これらの感覚細胞の軸索はA糸球体とB糸球体というオスで巨大化した大糸球体に終末する。大糸球体の内部では嗅感覚細胞の神経終末の分布から感覚子の触角上での位置情報も表現されている。ワモンゴキブリの大糸球体は性フェロモンの「質」を表現する能力と、フェロモンの「位置」を表現する能力を備えた、洗練された匂い情報処理システムであるといえる。

温度・湿度感覚

 ワモンゴキブリの触角鞭節で一節おきに1個ずつ分布する茸状感覚子は外界の温度・湿度情報を受容する感覚子である。茸状感覚子の先端に位置するクチクラ構造は外界の湿度変化により微細構造が変化する。このわずかなクチクラ構造の変化を感覚細胞が機械的に受容することにより、ワモンゴキブリは外界の相対湿度の変化を受容することが出来る。この茸状感覚子には湿度上昇(湿度刺激)に応答する感覚細胞と湿度減少(乾燥刺激)に応答する感覚細胞が内在しており、それぞれ触角葉後部の異なる糸球体に投射している。茸状感覚子には2個の湿度感覚細胞に加え、温度減少に応答する温度感覚細胞が1個内在している。温度減少に応答する感覚細胞は特定の錐状感覚子にも存在している。2種類の温度感覚細胞の応答特性は多少異なるが、これらの軸索は触角葉後方の特定の糸球体に収斂している。

接触化学感覚

 ワモンゴキブリの触角鞭節に存在する棘状感覚子には長いものと短いものがあり、このうち長い棘状感覚子に1-4個の接触化学感覚細胞が内在している。この感覚子の先端部には味孔という孔が存在し、この孔を通過した味物質が感覚細胞の味覚受容体に結合し、興奮性の応答を引き起こす。ゴキブリの触角における接触化学感覚細胞は糖や塩、ゴキブリの体表分泌物によく応答することが分かっている。このことから、ワモンゴキブリは触角で餌や個体の識別を行っていると考えられる。これらの感覚細胞は食道下神経節および背側葉の特定の領域に終末する。

機械感覚

外部受容の場合

 触角鞭節上の棘状感覚子は必ず1個の機械感覚細胞を内在している。ワモンゴキブリの触角鞭節が外部の物体と接触する時、棘上感覚子が屈曲する。これにより感覚子基部に位置する機械受容細胞の樹状突起が変形し、インパルス応答が発生する。同様に物体との接触は鞭節をしならせるが、一節おきに3個存在する周辺感覚子も触角のクチクラ構造の歪みにより活性化され、外界の物体の検知に感知すると考えられる。棘状感覚子の機械受容細胞は接触化学感覚細胞と同様、食道下神経節および背側葉に終末するがその終末領域は接触化学感覚細胞のそれと異なる。

自己受容の場合

 触角根元の柄節と梗節には機械受容に特化した多くの感覚子分布し、主に関節の変位を検知する自己受容器として機能する。柄節と梗節の基部側では小型の機械感覚子(毛板感覚子)が密集して分布し、毛板を形成する。毛板は柄節、梗節で3個ずつ存在し、触角の関節が屈曲すると、間接可動部の柔軟なクチクラが毛板感覚子と接触し、機械感覚細胞が興奮する。屈曲する感覚子の種類と数はそれぞれ関節の変位の方向と変異量に依存するため、毛板感覚子は触角の位置情報を符号化している。加えて、ゴキブリの梗節には30個程度の鐘状感覚子が節の末梢部の周りを囲むように存在している。これらは鞭節の歪みを検知すると考えられている。また、梗節の内部には鞘状感覚子によって構成される、弦音器官およびジョンストン器官とよばれる機械感覚器が存在している。これらの機能は不明だが、触角の自己受容器として働くと考えられている。触角基部に存在するこれらの機械感覚細胞は鞭節の接触機械感覚細胞とはことなり、背側葉内側側に主に終末する。

まとめ

 ワモンゴキブリは触角を行動中に自由に動かすことによって、鞭節の外部感覚受容器を介して外界の匂い情報や味情報、機械情報、温度湿度情報を認識することができる。また、触角の動きや位置、角度は、主に柄節や梗節に存在する自己感覚受容器によって認識することができる。外部感覚情報と自己受容情報を脳内で統合・処理することによって、ワモンゴキブリは刺激の種類と質および刺激源の位置を脳内に正確に表象することができる。今後、これらの感覚情報が脳内でどのように処理・統合されるかが研究の課題になるだろう。