擬死行動とそのしくみ

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擬死とは

 テントウムシやコメツキムシなどはつついたり、押さえつけたりすると突然抵抗するのをやめ、肢を強く縮めて動かなくなる。このように、動物が拘束刺激や振動、音などに対して起こす持続的な不動状態は擬死、あるいは死にまねと呼ばれている。類似の行動は無脊椎動物だけでなく、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類に至るまで広く見いだされる。このことは、擬死が原始的な起源を持つことを示唆している。擬死は、高い攻撃性や防衛能力、逃避能力をもつ動物(例:スズメバチ、カブトムシ)ほどおこりにくい。たとえば、近縁種においても、短い肢を持ち、逃避の苦手なフタホシコオロギ(Gryllus bimaculatus)ではおこりやすく、長い肢を持ち、素早く逃避できるエンマコオロギ(Teleogryllus emma)ではほとんどおこらない。アズキゾウムシにおいては、飛翔能力にすぐれた個体ほど擬死がおこりにくいことが知られている。

 擬死は動くものにしか興味を示さない捕食者(とくに爬虫類、両生類)の目をくらます効果や、攻撃本能をそらす効果を持ち、生存率を上げるのに役立っている。擬死の多様性についてはWikipediaの“擬死”を参照されたい。ここでは、昆虫(とくにコオロギ)を例にとって、擬死がどういう神経のしくみで誘発され、維持されるのかについて解説したい。

コオロギの擬死

   フタホシコオロギは沖縄を含む亜熱帯地方に広く生息しており、成虫で体長3cmほどになる。本コオロギはカエルやトカゲの餌としてペットショップで売られているので、容易に入手できる。このコオロギの前胸部を前肢と一緒に側方から軽く親指と人指し指で圧迫すると、全身が強く屈曲する。仰向け状態にして静かに指を離すとそのままの姿勢で動かなくなる。これがコオロギの擬死である。同様の擬死はコオロギを背中から軽く押さえつけて、自発歩行を強く制限した場合にも誘導される。擬死中には視覚刺激、音刺激などの感覚刺激に対する行動反応性が低下するが、強い接触刺激を与えると、容易に覚醒がおこる。刺激を与えない場合には、不動状態はおおよそ3分間持続したのち、自発的に覚醒がおこる。

擬死が誘発されるしくみ

   擬死の誘発過程を観察すると、1)拘束によって自発的な肢の運動が強く妨げられたとき、2)体の一部の刺激によって動物自身が屈曲反射を起こしたとき、にただちに不動化することがわかる。これらは一見全く異なる状態のように見えるが、筋電図を記録すると、共通の状態が肢の筋肉に生じている。前者では肢関節が拘束された状態で、後者では肢関節がそれ以上曲がらない状態で、屈筋に強い等尺性収縮(筋肉の長さが変化しない収縮のこと)がおこっているのである。このとき、筋肉の両端は固定された状態で、筋繊維のすべり運動がおこるため、筋肉に低頻度の振動が生じる。この振動を間接的に受容するセンサーが、肢の腿節内部にある“弦音器官”と呼ばれる感覚器である。弦音器官を6本の肢すべてについて除去すると、擬死が誘発されにくくなるため、この感覚器が擬死の解発に不可欠のようである。

 弦音器官は腿節基部にある約100個の感覚ニューロン群が弦のように細く長く伸びたクチクラと結合した構造をとる。このクチクラは末梢側で脛節の回転軸と結合している。したがって、関節の運動や振動は弦状のクチクラの運動を介して基部にある感覚ニューロンに伝達される。身動きがとれない状態で生じる振動が弦を伝わって弦音器官中の振動感受性ニューロンが刺激されると、自発運動が抑制される。このような機能は哺乳動物の筋肉の腱に付着しているセンサー(腱紡錘)が拘束時に生じる振動を受容して、筋活動を弱める反射と良く似ている。おそらく、擬死は外敵から身を守るだけでなく、拘束時に無駄な動きをやめることで、自身のエネルギー消費を少なくしたり、筋損傷を防いだりする機能も持ち併せているのだろう。

 弦音器官は地面を伝わる振動や音にも鋭敏に応じ、自発運動の停止を誘発する。ヤガや甲虫(ハムシ、クワガタムシ)などの擬死は外部から与えられた振動や音を直接受容することで、誘発されているのであろう。

擬死中の運動神経の活動

 擬死特有の姿勢は微動だにすることなく、長時間保持される。このとき肢を持って動かそうとすると肢関節は容易に動かせず、筋肉が硬直していることを感じる。擬死中には肢を実際に動かすのに寄与する大きな運動ニューロンの活動はほぼ完全に停止している。ところが、筋肉を持続的に収縮させる小さな興奮性の運動ニューロンはなおも持続的に活動している。これによって不動姿勢が維持されるわけだが、このときの活動電位の発火頻度はコオロギが単にじっとしている時(静止中)の発火頻度よりもずっと少ない。それでは、どうして筋肉は弛緩することなく、硬直状態を保っていられるのだろうか?そこには別のタイプの運動ニューロンが関係している。節足動物ではヒトとは異なり、筋肉を弛緩させる運動ニューロン(共通抑制性運動ニューロン)が多数の筋肉を支配していることが知られている。抑制性運動ニューロンが活動すると、筋肉は弛緩し、緊張がほぐれるため、次に素早い運動をおこすのに役立っている。共通抑制性ニューロンはふだん静止しているときにも1秒に1回くらいの頻度で発火しているが、擬死中にはこの抑制性運動ニューロンの活動は強く抑制される。これによって、擬死特有の筋肉の硬直が保持されるのである。

擬死を維持する中枢

 前述したように、擬死を解発する振動刺激は一瞬で、これを受容する弦音器官の活動時間は数百ミリ秒に過ぎない。したがって、不動状態を長時間維持していくためには中枢の働きが不可欠である。コオロギでは、頭部にある脳を冷却すると、直ちに擬死中からの覚醒がおこることがわかっている。おそらく、弦音器官によって受容された振動情報を脳が受け取ると、そこから下降する介在ニューロンの働きによって胸部や腹部の筋肉を支配する興奮性運動ニューロンや共通抑制性ニューロンの活動が一定時間抑制されるのであろう。このように、中枢にあって、下位にある運動を一斉に制御するニューロンは“司令ニューロン”と呼ばれ、無脊椎動物では多数報告されている。たとえば、アメリカザリガニの脳から下行する介在ニューロンの中にはそれが活動している間中、擬死のような不動状態をひきおこす司令ニューロンがあることがわかっている。コオロギの擬死もこのようなニューロンの働きによって維持されるのかもしれない。

まとめと今後の課題

 以上、擬死は動物が意識的に死を装っているわけではなく、振動刺激を受けとるセンサー、不動状態を維持する脳、擬死特有の運動出力の働きによって説明できる反射的な行動である。

 擬死が引き起こされる神経回路についてはわかってきたが、擬死中の高次中枢の働きについてはなお不明な点が多い。擬死中には感覚反応性の低下がおこり、擬死直後のコオロギはしばしば触角をしきりに動かして、周囲を探索するような行動を示す。これはあたかも擬死中の覚醒レベルが低下していたかのように見える。今後、擬死の研究は、ヒトとは異なる進化をとげた動物にも意識のようなものが存在するのか、そしてこのような脳の高次機能がどのように進化してきたのかを理解するための良い行動モデルとなるかもしれない。


西野浩史