ニューロンにおけるDNA増幅を介した物質合成の制御

提供: JSCPB wiki
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DNAは生物を作り出すための設計図であり、その情報は子子孫孫受け継がれるものである。それゆえDNAは、そこに刻まれている遺伝子の数や構成比、そして塩基配列が簡単には変化しないよう厳密に管理、制御されている生体高分子である。従って、環境の変化や発生プロセスの進展に伴って細胞内外の生体物質の量を変化させたい場合、(1) mRNAの転写効率やmRNAの安定性の制御、(2) 翻訳効率の制御、(3) タンパク分解速度の制御、(4) その他高分子の合成・分解にかかわる酵素活性の制御、などによって対応するのが通常で、生物はこれらのオプションをうまく組み合わせて臨機応変に対応している。

しかし、中には思い切って設計図であるDNAを特定の細胞で大きく変えてしまう場合がある。不可逆的かつ大幅なDNA再編成の例としては、脊椎動物の免疫系細胞におけるイムノグロブリン遺伝子や、ハエの唾腺染色体などの例が挙げられる。本稿では、軟体動物腹足類の一種であるナメクジの脳を例にとり、DNA増幅による遺伝子産物の増産機構について概説する。

軟体動物腹足類の中枢神経系に存在する超巨大ニューロン

腹足類の中でもその名の知られたアメフラシは、これまで学習・神経可塑性のモデル動物として頻繁に用いられてきた。アメフラシの中枢神経系のニューロンは、その総数が数千個と少なく、巨大なものがたくさん存在している。そのため、個々のニューロンを同定可能で、さらにニューロン内に試薬を打ちこむなどの操作が容易である。このことが、アメフラシをメジャーな実験動物にまで押し上げた要因のひとつである。

そして、一つ一つの巨大ニューロンをよく観察してみると、細胞体の中にある核自体も非常に大きいことが分かる。最も大きいニューロンでは、細胞体部分の直径が1 mmを超えるものもある。これは、あらゆる動物が持つニューロンの中で最大級であるとされ、その核内には20万倍体以上に相当する量のゲノムDNAが含まれている。もしこれが、ゲノム全体が核内で複製を繰り返した結果生じたものであるとすれば、2倍体の標準的なゲノムが16~17回にわたって倍々ゲームを繰り返したことに相当する。

肥満に対応したニューロンの巨大化とDNA増幅

こうした細胞質分裂を伴わずに核内DNAが複製されることをDNA内的複製(DNA endoreplicationまたはDNA endoreduplication)と呼ぶが、ニューロンでDNAの内的複製が起こる結果、当然として物質合成プロセスの規模全体が拡大する。こういった大幅なDNA増幅に対する目的論的な解釈として、『体の成長や肥満に伴って臓器等が大きくなる際、これら臓器を支配しているニューロン自体を大きくすべく物質合成を高めるためにDNAを増幅させている』というものがある。実際、飼育しているナメクジにエサを十分に与えて体のサイズを大幅に増加させると、ニューロンにおけるDNA合成が頻繁に起こり、同時にニューロンと脳のサイズが大きくなる。またこの時、ニューロン当りの遺伝子転写産物量(mRNA量)も大きく増えていることが分かっている。またナメクジの脳では、肥満、成長に伴うDNA内的複製の結果、ゲノムDNAの一部分ではなく、ゲノム全体が一様に倍数化することも確認されている。

DNA増幅の意義と未解明の問題

確認された例を挙げれば、心臓興奮作用のある神経ペプチド類などをコードするmRNAの量は内分泌ニューロン内で顕著に増えており、確かに肥満に伴う体腔容積や支配対象臓器の巨大化に対応しようとしていることが分かる。ただ、ここで注意が必要なのは、我々人間のニューロンがナメクジの場合と同じように、肥満や体のサイズの巨大化に対してDNA増幅で対応している訳ではないということである。一部の脊椎動物の中枢神経系でDNA増幅を起こしているニューロンが存在している例は報告されているが、極めて例外的であると考えられている。またヒトの脳では、ゲノム複製を抑制していた細胞内機構が破たんすることでDNA内的複製が不用意に起こり、これが引き金となってニューロン死が引き起こされるとする見解もある。なお、DNA内的複製がどのような細胞間・細胞内シグナルによって引き起こされるのかはまだ分かっておらず、その詳細なメカニズムについては今後の研究を待たねばならない。

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写真:30日間絶食したナメクジと、エサを与え続けたナメクジ
(撮影:薬師寺沙耶)


松尾亮太 福岡女子大学