「昆虫の羽ばたき運動のメカニズム」の版間の差分

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=== 種による違い ===
 
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種によって飛翔筋の構成は様々で,間接筋・直接筋と同期筋・非同期筋の組み合わせは間違いやすいので注意が必要である.要点は,①すべての直接筋は同期筋である,②間接筋には,同期筋を持つ種(ガ,バッタ)と,非同期筋を持つ種(ハチ,ハエ,甲虫など)がいる,という二点を覚えていれば正解である(図2).これを踏まえて,トンボ,ガ,ハエについて,パワー筋,操縦筋の二点で見て行こう.トンボの間接飛翔筋は非常に小さく,直接筋がパワーを生み出している.ガは発達した同期筋の間接飛翔筋を持ち,ハエはさらに大きく発達した非同期筋の間接飛翔筋で高い羽ばたき周波数を実現している.一方,操縦筋はいずれも直接筋が担い,これらはすべて同期筋である.このような種によって異なる飛翔筋の構成は,それぞれの飛び方の特徴に結びついている.例えば,同期筋の直接飛翔筋のみで飛行するトンボは,4枚の翅の制御が自在であり,素早い運動だけでなく翅を止めて滑空することができる.一方,非同期筋の間接飛翔筋を持つハエは,当然滑空はできないが,高い羽ばたき周波数と高速な操縦筋の制御で,俊敏に逃げ回ることができる.
 
種によって飛翔筋の構成は様々で,間接筋・直接筋と同期筋・非同期筋の組み合わせは間違いやすいので注意が必要である.要点は,①すべての直接筋は同期筋である,②間接筋には,同期筋を持つ種(ガ,バッタ)と,非同期筋を持つ種(ハチ,ハエ,甲虫など)がいる,という二点を覚えていれば正解である(図2).これを踏まえて,トンボ,ガ,ハエについて,パワー筋,操縦筋の二点で見て行こう.トンボの間接飛翔筋は非常に小さく,直接筋がパワーを生み出している.ガは発達した同期筋の間接飛翔筋を持ち,ハエはさらに大きく発達した非同期筋の間接飛翔筋で高い羽ばたき周波数を実現している.一方,操縦筋はいずれも直接筋が担い,これらはすべて同期筋である.このような種によって異なる飛翔筋の構成は,それぞれの飛び方の特徴に結びついている.例えば,同期筋の直接飛翔筋のみで飛行するトンボは,4枚の翅の制御が自在であり,素早い運動だけでなく翅を止めて滑空することができる.一方,非同期筋の間接飛翔筋を持つハエは,当然滑空はできないが,高い羽ばたき周波数と高速な操縦筋の制御で,俊敏に逃げ回ることができる.
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図2 飛翔筋の分類
  
 
== 羽ばたきの神経制御 ==
 
== 羽ばたきの神経制御 ==

2018年2月13日 (火) 21:50時点における版

近年,マルチコプターをはじめとする無人航空機(ドローン)の発展が著しい.この発展を支えているのが,超小型で高性能なセンサ,プロセッサ,強力なモータ,そしてハイパワーなバッテリといった要素技術の進展である.一方,4億年以上前に飛行を獲得した昆虫は,その初期の段階においてこれら要素技術(感覚器官,中枢神経系,飛翔筋,代謝機能)を獲得していたと考えられる.まるで止まっているかのようなハナアブのホバリング,優雅に空を舞うチョウ,そして機敏な運動で空中の獲物を捕らえるトンボなど,昆虫飛行の素晴らしさ,そして美しさには,最新鋭のドローンもまだまだ敵わないのではないだろうか.ここでは,昆虫飛行の特徴的な運動である羽ばたき運動を生み出すメカニズムについて概説する.

翅を動かすからくり:飛翔筋とその制御

羽ばたきの基本運動は翅の上下の往復運動であり,これを担うのが飛翔筋である.飛翔筋は,大きく構造,機能,そして収縮の制御方式によって分類される.

構造による分類

飛翔筋が付着する部位と作用によって直接飛翔筋,間接飛翔筋に分類される.

  • 直接飛翔筋 (direct muscle):筋の一端(作用点)が翅基部に付着し,翅を直接駆動する筋肉
  • 間接飛翔筋 (indirect muscle):筋の両端が外骨格(外側を覆う固い殻,クチクラとも呼ぶ)に付着し,筋収縮による外骨格の変形を介して翅を駆動する筋肉

間接飛翔筋には,体軸前後方向に結ぶ背縦走筋 (dorsal longitudinal muscle),体を背腹方向に結ぶ背腹筋 (dorsal ventral muscle)に大別され,それぞれ翅打ち下ろし,打ち上げを担っている.背縦走筋が収縮すると背板(notum)が隆起し,てこの支点を介して翅が打ち下ろされる.一方,背腹筋は,背板を押し下げることで翅を持ち上げる(図1).

直接飛翔筋は,文字通り翅を直接駆動する筋でその作用が分かり易い一方で,間接飛翔筋はなんとも回りくどい方式に思えるかもしれない.しかし,間接飛翔筋の背縦走筋,背腹筋は,昆虫の体節に広く存在する基本的な筋肉であり,もともとあるものを飛ぶために利用している,とも言える.さらに,外骨格の変形を利用するメカニズムは,外骨格自身の持つばねの性質を,羽ばたき運動に利用できるという利点がある.

Flight01.png

図1 飛翔筋のはたらき(チョウ目スズメガの例:同期筋の間接筋がパワー筋,直接筋が操縦筋)

機能による分類

羽ばたき運動は,基本運動である打ち上げ・打ち下ろしの他に,手のひらを動かすような内転・外転運動,さらには前後運動という全6つの運動が組み合わされた複雑な運動である.各飛翔筋の解剖学的な知見や電気刺激実験によって各々の機能が同定されている.間接飛翔筋は,打ち上げ筋・打ち下ろし筋のいずれかであるのに対し,直接飛翔筋は6つの運動のいずれか,もしくは複数を担っており,羽ばたき運動に変化を与え,様々な運動を実現する.

また,チョウ目,ハチ目,ハエ目,甲虫目では,打ち上げ・打ち下ろしを担う間接飛翔筋が大きく発達し,羽ばたきの基本運動を生み出すことから,これらを特にパワー筋 (power muscle)と呼び,その他の直接飛翔筋は操縦筋 (control muscle),もしくは舵取り筋 (steering muscle)などと呼ばれている.ちょうどクルマのエンジンとステアリングのような関係である.一方,トンボでは,間接飛翔筋は非常に小さく,羽ばたき運動のすべてを直接飛翔筋が担っている.

制御方式による分類

昆虫の羽ばたき運動を特徴づける指標として重要なものは,羽ばたき周波数(1秒間に何回羽ばたくか,単位はヘルツ)である.パタパタと羽ばたくチョウは10ヘルツ程度,ブーンと羽ばたくハチは100~200ヘルツ,そしてプーンと高い音で羽ばたくカの仲間には1000ヘルツに達するという報告もあるなど,種によってさまざまである.このような羽ばたき周波数を生み出す飛翔筋の制御方式には次の2つがある.

  • 同期筋(同調筋):運動神経の活動と筋収縮が同期する筋
  • 非同期筋(非同調筋):運動神経の活動と筋収縮が同期しない筋

同期筋は我々ヒトの骨格筋の制御と同じで,筋電位のスパイクと羽ばたき運動が一対一対応する筋である.すべての昆虫の直接飛翔筋,そしてチョウ目,バッタ目の間接飛翔筋は同期筋である.一方,非同期筋は,ハチ目,ハエ目,甲虫目といった,数十~百ヘルツを超える比較的高い周波数で羽ばたく昆虫の間接飛翔筋に見られる特徴である.非同期筋の特徴は,筋が引き伸ばされることでアクチン・ミオシンの相互作用が起こり筋収縮する点にある.すなわち,筋自体がばねのように振動する性質を持つことで,運動神経の指令よりも速い収縮サイクルを生み出すことができる.前述の昆虫目は,外骨格のばねを利用する間接飛翔筋を非同期筋とすることで,高い羽ばたき頻度を実現している.一方,非同期筋は同期筋と同様に,運動神経からの指令で収縮することもできる(ただし,収縮・弛緩のサイクルは遅い).また,非同期筋の運動神経の活動は,羽ばたき周波数などの運動の特性と相関があることが報告されている.このことから,非同期筋の運動神経による制御は,羽ばたきの開始や停止,伸張による筋収縮の特性などを調整していると考えられている.

運動神経の制御による筋収縮のサイクルを決定する大きな要因は,アクチン・ミオシンの相互作用を引き起こすカルシウムイオンの放出と回収のサイクルである.したがって,カルシウムイオンをため込む筋小胞体を大きくし,筋繊維に近づければ高速な運動が可能である.実際にセミの発音器官の筋肉は,筋小胞体が大きな体積を占めている.しかし,筋小胞体を大きくするほど筋繊維は小さくならざるを得ず,結果として発生する力が低下するというトレードオフが存在する.非同期筋は,高速で力強い羽ばたき運動を,生物システムで実現するための優れた戦略と言えよう.

種による違い

種によって飛翔筋の構成は様々で,間接筋・直接筋と同期筋・非同期筋の組み合わせは間違いやすいので注意が必要である.要点は,①すべての直接筋は同期筋である,②間接筋には,同期筋を持つ種(ガ,バッタ)と,非同期筋を持つ種(ハチ,ハエ,甲虫など)がいる,という二点を覚えていれば正解である(図2).これを踏まえて,トンボ,ガ,ハエについて,パワー筋,操縦筋の二点で見て行こう.トンボの間接飛翔筋は非常に小さく,直接筋がパワーを生み出している.ガは発達した同期筋の間接飛翔筋を持ち,ハエはさらに大きく発達した非同期筋の間接飛翔筋で高い羽ばたき周波数を実現している.一方,操縦筋はいずれも直接筋が担い,これらはすべて同期筋である.このような種によって異なる飛翔筋の構成は,それぞれの飛び方の特徴に結びついている.例えば,同期筋の直接飛翔筋のみで飛行するトンボは,4枚の翅の制御が自在であり,素早い運動だけでなく翅を止めて滑空することができる.一方,非同期筋の間接飛翔筋を持つハエは,当然滑空はできないが,高い羽ばたき周波数と高速な操縦筋の制御で,俊敏に逃げ回ることができる.

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図2 飛翔筋の分類

羽ばたきの神経制御

昆虫飛行の研究における重要な発見の一つは,Wilsonらによるサバクバッタの羽ばたき運動における中枢パターン発生器(Central Pattern Generator, CPG; 感覚入力によらない内因性のリズム発生器)の存在を明らかにしたことであろう.CPGの発見は,羽ばたき運動のようなリズム運動が,反射の連鎖か内因性の発振器によるものかという論争に終止符を打った,かに見えたが,実際には反射の連鎖と言ってよいほどCPGは感覚入力(特に翅の打ち上げ,打ち下しを受容する機械感覚受容器)の影響を強く受ける.羽ばたきの基本リズムはCPGが生み出すが,実環境でふるまうためには感覚入力による調節が必須,と解釈されている.したがって,飛行制御の神経回路の研究は,そのほとんどが感覚フィードバック経路に関するもので,CPGに関しては70~80年代のサバクバッタの単一細胞レベルの電気生理学的解析を最後にあまり進んでいないのではないだろうか.昨今の遺伝子工学の技術を駆使した網羅的な神経系の解析によって,再びこの分野が動き出すことが期待される.

構造が生み出す多様な動き

さて,羽ばたき運動を生み出す神経回路が明らかになれば,飛行のメカニズムを解明できるか,神経活動から観察される運動を説明できるか,と言えばそう簡単ではない.なぜならば前述の間接飛翔筋のように,能動的な神経制御と観察される運動の間には外骨格の変形,さらには複雑な翅基部のヒンジ構造(図1)が介在しているためである.これら身体の物理的特性は,筋収縮によって生じる変位を増幅したり向きを変えたりする作用があると考えられる7.このような受動的な身体の機能は,神経系の負荷を軽減する一方で,多様な運動を生み出す根源であるかもしれない.近年のμCTなどの内部構造の詳細なイメージング技術,コンピュータによる三次元再構築や構造シミュレーション,さらには3Dプリンタによる実物による検証などにより,構造に潜む機能の解明が期待される.

まとめと展望

昆虫は羽ばたき飛行のしくみは種によって多様である.翅を駆動する飛翔筋はその構造,機能,制御方式から分類され,これらの組み合わせで種特有の飛行方式を実現している.羽ばたき飛行のメカニズムの解明には,神経系の網羅的な解析とともに,羽ばたき運動を生み出す身体構造の機能の理解も必須である.神経系と身体構造,羽ばたき運動,さらに流体力学的解析が有機的に連携することで,昆虫飛行の統合的な理解が進むものと考えられる.

参考文献

  • Dudley, R. The biomechanics of insect flight. Form, function, and evolution. Princeton University Press, 2000.
  • Deora, T., Gundiah, N. & Sane, S. P. Mechanics of the thorax in flies. Journal of Experimental Biology 220, 1382-1395, 2017.
  • 水波誠 昆虫-驚異の微小脳. 中央公論新社, 2006.