学習:とくにアメフラシの場合

提供: JSCPB wiki
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アメフラシの大きなニューロン(神経細胞)は観察が比較的容易なため、行動の変化を細胞や遺伝子レベルで調べるのに適している。アメフラシを研究することで、生物の学習や記憶メカニズムについての一端が分かってくる。


学習と記憶の定義

 脳の高次機能としてもっとも重要なものに「学習と記憶」がある。学習とは、経験をとおして行動の変化を獲得すること、またはその過程と定義することができる。また記憶とは、その行動の変化を保持し必要に応じて再生する能力、またはその内容をさす。このような脳の高次機能に関する分子レベルでの研究が進んできている。しかもこの研究は、簡単で小さな脳である無脊椎動物の脳を用いた解析で、先行して進められている。


簡単な学習「慣れと鋭敏化」

 無脊椎動物は小さな脳のわりに、極めて高度な行動を示す。つまり、その行動の変化のもととなる学習・記憶の能力がとても高いことを意味する。軟体動物腹足類に話をしぼって、学習と記憶の機構について見てゆこう。学習や記憶の能力だけをみると昆虫類のほうがずば抜けて良いわけであるが、軟体動物腹足類は簡単に見分けのつく大きなニューロンをもち、そのニューロンの個数も比較的少ないので、行動の変化を細胞レベルそして遺伝子レベルで直接的に調べるのに適している。このような理由から、軟体動物腹足類の1種であるアメフラシは、学習や記憶メカニズムの研究のためによく利用されている。

慣れ

 アメフラシは水管から海水を出し入れしてエラ呼吸をする。その水管に接触刺激を受けると水管やエラを守るためにそれらを縮めて体の中に引き込む。これをエラの引き込み「反射」とよぶ。しかしこの接触が繰り返されると、「慣れ」が生じてエラを引き込まなくなる。この慣れというのはわれわれヒトでも普通に起こることである。

 アメフラシの慣れの現象は、水管側の感覚ニューロン(触覚を感受するニューロン)からエラ側の運動ニューロン(エラを動かす筋肉を支配するニューロン)への神経情報伝達効率の減少として理解される。これは、情報を送り出す感覚ニューロンの変化だと考えられる。少し詳しくこのメカニズムを見てみる。刺激によって感覚ニューロンは興奮する。それが繰り返されると、このニューロンの中のカリウムチャネルが活性化し、ニューロンの脱分極持続時間の短縮→カルシウムチャネルを通って流入するカルシウム量の減少→神経伝達物質放出量の減少、という現象が起こる。カリウムチャネルはニューロンが興奮して脱分極したとき、膜電位を元に戻すために細胞内のカリウム(K+)を放出するチャネルである。またニューロン内のカルシウム(Ca2+)濃度が上がると、神経伝達物質が放出されやすくなる。

鋭敏化

 一方、慣れを起こしたアメフラシの頭部に強い電気ショックを与えると、水管刺激によるエラの引き込み反射が、慣れの前に戻る(慣れの除去)。「慣れて」しまいさぼっていることを、頭をたたかれてしかられ、ふたたびやるようなものである。しかも慣れの除去が起きるのみならず、反射が長期にわたって過敏に続く「鋭敏化」も起こる。これらの現象のメカニズムを考えてみよう。ここには、水管側の感覚ニューロンとエラ側の運動ニューロン、さらには頭部側の感覚ニューロンとそこから情報を受ける介在ニューロン(神経情報をあるニューロンから別のニューロンへと渡すリレーの役割をになうニューロン)の4種類のニューロンが関わる。

 さて水管の感覚ニューロンでは、介在ニューロンが放出するセロトニン刺激により、アデニル酸シクラーゼが活性化され、細胞内のサイクリックAMP濃度が上昇する。サイクリックAMPは細胞内の情報伝達物質として重要な役目を果たす。介在ニューロンから放出されたセロトニンは、水管の感覚ニューロンのセロトニン受容体で受け取られる。セロトニン受容体はGタンパク質というタンパク質を介して、アデニル酸シクラーゼという酵素を活性化する。このアデニル酸シクラーゼはアデノシン三リン酸をサイクリックAMPに変換する。

 その後、サイクリックAMPはタンパク質リン酸化酵素(Aキナーゼ)を活性化する。このAキナーゼがカリウムチャネルをリン酸化し、結果としてカリウムチャネルを不活性化する。少し難しくなるが、結果として

  • カリウムチャネルの不活性化
  • →脱分極持続時間の延長(再分極の遅延)
  • →カルシウムチャネルを通って流入するカルシウム量の増加
  • →神経伝達物質放出量の増加、

という一連のメカニズムで、エラ引き込みのための運動ニューロンを大きく興奮させる。つまり慣れは解除され、場合によっては鋭敏化が起きる。

 リン酸化という反応はタンパク質を構成する20個のアミノ酸のうちのセリン、トレオニン、チロシンのOH基にアデノシン三リン酸(ATP)の3番目のリン酸基が転移することである。ATPのリン酸基をアミノ酸のOH基に転移させる酵素のことを「タンパク質リン酸化酵素」とよぶ。先ほど出てきたAキナーゼなどがそうである。リン酸化は生体内の反応の中でもきわめて重要な役割を果たしている。


古典的条件づけ

 ここまでは慣れや鋭敏化という簡単な学習について見てきた。ところでアメフラシはもっと複雑な学習もできる。それが古典的条件づけである。「パブロフの犬」の話を聞いたことがあると思う。犬にえさである肉を与えるとよだれをたらす。えさを与えるという「刺激」は、よだれをたらすという「反射」を引き起こす。このような反射を誘発する刺激を「無条件刺激」とよぶ。一方、えさを与える前にメトロノームの音を聞かせると、メトロノームの音を聞いただけで犬はえさがもらえると理解し、よだれをたらすようになる。メトロノームの音は少なくともよだれをたらすという行動に対しては、本来はなにも意味のないものである。これを「条件刺激」という。無条件刺激の前に条件刺激が与えられる、すなわち2つの刺激が時間的にある間隔で組み合わされると、無条件刺激なしに条件刺激だけでその反射を引き起こすことができるようになる。つまり、条件刺激であるメトロノームの音を聞かせただけで、えさが無くても犬によだれをたらさせられるようになる。これを古典的条件づけという。

 アメフラシでは、条件刺激として水管への弱い接触刺激が、無条件刺激として尾部への電気ショックを与えます。するとそれらの刺激が脳内で組み合わさり、結果として、条件刺激だけで強いエラ引き込み反射を起こすようになる。条件刺激はごく弱い刺激なので、水管の感覚ニューロンで一時的にカルシウム濃度が上昇する。それに続く無条件刺激も先述の鋭敏化と同じメカニズムで、水管の感覚ニューロンのカリウムチャネルの不活性化とカルシウム濃度上昇を起こす。そのため両者とも水管の感覚ニューロンでのカルシウム濃度の長期上昇を引き起こし、条件刺激だけでも神経伝達物質の放出が可能となって古典的条件づけが成立する。